サトー鍼マッサージの名前の由来とわたしの原点

私の施術で、
寝たきり0%、笑顔のある暮らしを実現したくて・・・

私がそう思うようになったのは、理由があります。

それは、曾祖母(そうそぼ)との関係があります。

歩ける頃の曾祖母元気だった曾祖母とわたし

*曾祖母が元気だった時の写真 
 曾祖母と一緒にとった最初で最後の1枚だけの写真です。

私は、幼いころ、曾祖母が老人病院(現でいえば、高齢者病院でしょうか)に入院しており、よくお見舞いにいっていました。
いまから、約30年前のことです。(写真の時の年齢です。)
ちょうど、この写真を撮った数か月の後の出来事です。

ちょうど、同じ年頃の子どもとあそびたい盛りに、わたしは親の都合で、よく、曾祖母のところにお見舞いという形でよく遊びにいっていました。

当時は今とはちがい、介護保険もなく、老人病院というところ
が主流で、理学療法士という地位もなかったとおもいます。

そんなとき、曾祖母がつらいと嘆いていた日があります。

それが、リハビリの日です。

当時は、理学療法士もいなかったので、たぶん、整形外科の先生だったのかもしれません。

その先生が厳しく、常にリハビリが辛く、泣いていた曾祖母の
姿を当時4歳だったわたしはみていて、何故そんなことをするんだろう。と、今でもあの曾祖母の辛そうな姿を思い出すことがしばしばあります。

そのとき、幼いわたしがやっていたのが、話し相手とリハビリが終わった後でからだを摩ることぐらいでした。
当時のわたしにはそんなことしかできませんでした。

でも、玄孫の私の手にふれることで少しは心が楽になったのかもしれません。

結果として、曾祖母は、リハビリをやめてしまい、寝たきりになり
2年後にはなくなってしまいました。

このとき、思ったんです。

人の身体は動かさないと固くなり、結果として死に至る。

でも、ココロが通じないと、リハビリというものが全く意味をなさない

ということを知りました。

だから、この点を私はとても重要視しています。 

あれから、福祉の仕事などを経て、縁であって、鍼灸マッサージ師となったとき、わたしは、曾祖母のことを思い出すようになりました。

そうだ!!

わたしが、あの曾祖母のようにならないように
お手伝いするお仕事をしようと考えたのです。

でも、この仕事をしてわかったのは、時には、どうしても痛みが生じることをやらなくてはいけないこともあるのです。

そんなとき、かならず、理由をいい、そして、できるだけ最小限の
痛みにおさえるようにしています。

そして、ほんの少しのご褒美と・・・。

 くわしくは、施術の流れをご覧ください。

これが私がこの訪問リハビリ、訪問マッサージをやった原点です。
あの頃、在宅で帰りたくても、帰れなかった曾祖母のようなひとを一人も作らないようにするために・・・。

この原点をわすれないで
これからもだだ精進してまいります。

ちなみに、サトー鍼マッサージ(略してサトハマ)は、
曾祖母の名前も「はま」だったので、
いつまでも、曾祖母の気もちを忘れないという意味も込めて、
サトー鍼マッサージという屋号にしています。
また、開設日(行政登録日)は、この曾祖母がなくなった命日としています。

*命日は故人を思い出す日なので、わたしはあえてこの日に
 させていただきました。

曾祖母が亡くなってもう、30年以上がたちますが、もし、いま曾祖母がいたら、私の施術で笑顔は取り戻すことができたのかな・・・。
と毎日考えているようにしています。

そんなこともあり、高齢者専用の治療院とさせていただいている理由のひとつでもあります。

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